葵  1


                        「可愛そうに、いつまで続くんだろう。」


                        妊娠5カ月に入り安定期に入ったと言うのにつくしの悪阻はまだおさまらない。

                        食べ物はおろか水さえも受けず戻してしまうつくしは、当然体力も無く一日中ベットで横になっている

                        日々が結婚式の数日後から続いていた。


                        「今日はまだ気分が良い方なの・・だから安心して仕事に行って・・」


                        背を覆うほどにまで伸びた艶のある黒髪を手で梳りながら微笑むつくしの姿はやつれていてもとても

                        綺麗で見飽きず、会社に行かなければならない俺の心を躊躇させるほどだ。


                        「あとで母さんが様子を見に来てくれるそうだよ。だから俺が帰って来るまで安静にしてて。」

                        「ごめんね・・・結婚したばかりなのに何も出来なくて・・類の実家にばかりお世話をかけて・・ 」

                        「何言ってるの。母さんはつくしが大好きなんだ。だから遠慮しないで、実の娘と思って頼って貰った方が
                         喜ぶんだよ。」

                        「うん。ありがとう、類 」

                        「そうそう。謝られるよりもありがとうの言葉の方がつくしらしくて嬉しいよ。」


                        ぱっと花が綻んだように笑うつくしを見てようやくあの頃の俺達に戻れた気がした。



                        「行ってらっしゃい。」


                        「ん・・・ 」




                        都心の一等地に建つ白い大きな家は俺の実家の花沢家とつくしの実家の藤原家の丁度中間に位置する

                        場所に建っている。俺達の結婚祝いにとつくしの実家が財産分与を兼ねて購入してくれた土地だった。

                        数億はするだろう広大な土地に外国から有名建築家を招き金に糸目をつけずに建てられた家は

                        邸と呼んでもおかしくないほどの美しく瀟洒な外観をした建物に仕上がった。

                        庭には芝が敷き詰められ沢山の薔薇が植えられていて、小さな噴水と特注で作られたブランコが御伽の世界の

                        ような雰囲気を醸し出している。


                        「赤ん坊が生まれる頃には初夏の薔薇が一斉に咲き乱れて見事な庭になるよ。」


                        温和な顔で嬉しそうに言った藤原財閥の総帥はやっと見つかった娘の為に美しい家に仕上げた。



                        「おはようございます。類様 」

                        「ん・・・ 」

                        「今朝は藤原財閥の本社で打ち合わせがございます。」

                        「そうだね。今のうちに資料に目を通しておく。」


                        優しい顔立ちと温和で優しい雰囲気を持つ総帥は仕事に関しては決して妥協を許さない凄腕の

                        大物実業家だ。それは愛娘のつくしの夫となった俺に対しても同様で容赦がない相手だった。

                        だけど仕事が終われば娘を心配するどこにでもいる普通の父親で俺のことも実の息子同様目をかけてくれた。



                                              *



                        4年前司は港で暴漢に襲われ記憶を失うほどの大怪我を追った。

                        周囲にもみくちゃにされそうなほどのマスコミとヤジを相手に牧野は司を背負い必死になって歩いていた。

                        真っ直ぐな瞳を向け堂々と前を歩く牧野の姿に俺や総二郎、あきららを含めた周囲の人間はみな圧倒されていて

                        誰ひとり牧野の異常事態に気がつかなかった。

                        司が救急車に運ばれホットするとどこかおかしい牧野の様子に最初に気がついたのは俺だった。

                        それは不思議なほどの違和感と喪失感から始まった。

                        牧野の体に真っ赤な花が咲いたかのように見えたのは明らかに血痕だった。刺されたのだから当然牧野にも司の血が着いてしまったのだろうとだけど
 
                        牧野の服には沢山の赤い染みが広がっていた。



                        「おい君も怪我をしているんじゃないのか!?」



                        俺が駆け寄るよりも早く真っ青な顔をし脇腹を押えながら俯く牧野に一人の救急隊員が話しかけた。


                        「あたしは良いんです・・・それより・・あいつ・・道明寺を・・・ 」


                        ふらつく牧野に急いで駆け寄った俺が抱きとめると牧野は顔をくしゃくしゃにして俺に蒼白な顔を向けた。


                        「あたし・・あたし・・ね・・やっと・・伝えたの・・なのに・・ 」


                        「もういい!しゃべるな!牧野」


                        「類・・・   あたし・・   」


                        力なく閉じた瞳はそのまま開くことなく俺の腕の中で崩れ落ちるかのように意識を失った。


                        「牧野ーーーーー!?」



                        司も重症だったが牧野の方がもっと重症だった。

                        傷が臓器にまで達していて出血もかなりのものだった。

                        しかも司と一緒に運ばれはしたものの病院側の態度は比を見るより明らかな状態で

                        牧野の治療は後回しにされていた。

                        名医も専門医も全てが司優先、いや道明寺財閥に最優先され俺や総二郎、あきらを愕然とさせた。


                        「花沢の息がかかった病院に牧野を移そう。これじゃ助かる者も助からない・・・ 」


                        優雅に嫣然と微笑む魔女の顔があの時ばかりは死神のように見え


                        「これで疫病神がいなくなってせいせいするわね。溝鼠の最後は呆気ないこと。」


                        その言葉に俺達全員が逆上した。

                        急いで駈けつけて来た牧野の両親は項垂れ顔を真っ青にさせて泣いていて大河原と三条が傍で付きっきりで

                        慰めの言葉をかけていた。





                        「千恵子さん・・・ 」



                        息を切らせながら一人の男性が牧野の母親の所へと近付いて来た。

                        正式には離れた所にSPらがいて秘書らしき人もいた。明らかにオーダーメイドだと分かる上質のスーツ

                        柔らかで上品な身のこなしはきっと普段はきちんとセットされているであろう髪が乱れてはいても

                        その男性が俺達と同じ上流階級の人間であろうことが人目で分かった。



                        「令磁さん・・・ ?」


                        茫然としている牧野の母親はその男性の顔を見るなり正気に返ったような顔をし泣き叫んだ。

                        「どうして・・?」

                        「ずっと千恵子さんと娘を見守って来たのですよ。 」

                        「令磁さん・・・  私は・・  」


                        「もう何も言わないで下さい。千恵子さん・・すべては私に任せて下さい。」


                        「はい・・はい・・お願いします!あの子、こんな風に死んじゃう子じゃないんです!明るくて優しくて
                         家族思いで、こんな理不尽な・・・うっっ・・・う・・ 」

                        「分かっています。ここは私に任せて下さい。今は一刻を争う。」


                        男性は牧野の父親に深々と礼を取ると司の母親の所まで足を進めた。



                        「あなた・・藤原さん・・ 」

                        「お久ぶりですね。道明寺さん、あなたは私の娘に随分な仕打ちをなさってくれたようだ。
                        今日の日のこと。決して忘れませんよ。」

                        「娘ですって!?あのど・・いえ・・牧野さんが・・?」

                        「そうです。今となってはもう関係のないことですが、先を急ぎますので失礼します。」


                        「あの・・御待ちになって・・ 」


                        藤原と呼ばれた男性は俺達の方を向くと軽く会釈をし大慌てで駆け寄って来た病院関係者と共に

                        その場を後にして行った。着き従っていた秘書らしき人は牧野の両親の許へ行くと一言二言会話をし

                        一緒に立ち去った。


                        「どこかで見たことがある人だな・・・」

                        「司のお袋さんとも知り合いらしいところを見ると相当地位のある人だろ。」

                        「藤原・・・もしかして関西とアジア方面に拠点を置く藤原財閥のことか!?」

                        「司のお袋さんの態度を見れば間違いないだろうな。そんな人がどうして牧野のお袋さんに?」

                        「しかも娘って言っていましたよ。」

                        「つくし・・どうなっちゃうんだろう・・私のせいだ・・  」

                        「バカ!滋泣くなよ!」



                        その日から牧野の消息は不明になった。

                  



                                       NEXT